三浦綾子 『氷点』

氷点 (上) (角川文庫 (5025))

氷点 (上) (角川文庫 (5025))

氷点 (下) (角川文庫)

氷点 (下) (角川文庫)

12月21日 午前4時01分 「続氷点」を読み了える。こんな小説は二度と読みたくない。

厳密にいえば純文学ではないのかも知れませんが、余りに遣り切れない気持なのであえて取り上げようかと思いました。ごめんなさい。

三浦綾子(1922-1999)は、北海道旭川市生まれ。プロテスタントキリスト教徒で、1963年朝日新聞社の懸賞小説に「氷点」が入選、作家としての地歩を固めました。信仰に根ざし、人間の原罪などをテーマに多数の著作を残しています。

あらすじ
旭川に住む医師、辻口啓造は美しい妻、夏枝と二人の子供、徹、ルリ子に囲まれ、幸せな家庭を築いていた。そんなある日、啓造の経営する病院の医師、村井が夏枝を訪れる。夏枝が村井に気を奪われ、目を離したすきにルリ子は誘拐され、殺されてしまう。啓造は二人を憎み、ルリ子を殺した犯人の幼い娘を引き取る。娘は陽子と名付けられ、啓造は何も知らない夏枝に犯人の娘、陽子を育てさせることで復讐を果たそうとするが……

レビューと感想は違うものでしょうが、とても自分なんかには批評できそうもないです。
……考えが全くまとまらないので、印象に残った言葉だけ引用してやめにします。意味不明ですが、許してください。

「個人の存在価値は、この世において無に等しい」

「…さんって方も、だれかに強く愛されていたら、死ななかったと思うの。」

「人間の確信など、こんなにも他愛ないものなのでしょうか?」

「自分がいやでたまらないの」

「静かだが、力のこもった声だった」

「一生を終えてのちに残るのは、我々が集めたものではなくて、われわれが与えたものである」

「…自分は正しいと思いたい思い、人間にとってこれほど根強い思いはないと思います。」

「たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」

「確たる生き方をつかまなければ、本当の意味の幸せにはなれない。」

「愛とは感情ではなく、意志である」

読んでいて、本当に苦しかったです。何回も吐きそうになりました。作中の人間関係が泥沼であることは言うまでもなく苦痛なんですが、一体どうして、人間はこんなにもお互いを苦しめ合わないといけないのだろうか、と思うと胸が詰まります。構成とか、明らかにフィクションだということは判っているんですけど、テーマの深さに心が耐えられませんでした。

人間はどこまでも可謬的な存在だと思います。
個人的なことですが、僕は小学生の頃、土手上の道を通って登下校してました。時々、河原へ下りる階段におじいさんが腰掛けていて、あるとき僕は、おじいさんを突き飛ばしたらどうなるのだろうかと考えて、そんなことを考えている自分にかなり恐怖したことがあります。それに限らず、近頃では、お金を見ると着服している自分を想像しそうになるし、きれいな人を見ると邪な願望を抱きそうになったりします。
(いつ何時どんな誘惑に陥らないものでもございません!!!!!)
なんか、随分きわどいことを書いてしまいましたけど、人間なんて脆弱です。

「何と人間は小さな存在であろう」

罪を犯した人間を、人間は許すことができるのか。それを三浦綾子は問うています。


…イエスは身を起して言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネによる福音書:8章7節)


もちろん彼女はラストで許しを神に求めているのですが、はたしてどうなのか。キリスト教徒でない自分にはやはり、にわかに信じ難い思いが残ってしまいます。
ただ、ひとつ思ったのは、人間というのは宗教的な意味でなくとも、どこまでも十字架を背負って生きていかなければいけない存在ではないだろうか、ということです。歩む先には、許しがあるのか、判らないけれど……。

あぁ、やっぱり上手に書けませんでした。もし、ここまで読んでくださった方がいたら、本当にありがとうございます。
もうすぐ長い夜があけます。おやすみなさい。以上、佐沢でした。